はじめに
僕はここで、学歴フィルターについて述べたい。そう、学歴フィルターである。あの、採用の際に大学名を見て、ある水準以下の大学出身の学生はそもそも切り捨てられることがあるというアレである。
学歴フィルターなんて存在しなければいいのにという人。
学歴フィルターを嫌悪する人たちは、
- 人は学歴だけで決まらない
- そもそもお金がなくて良い大学に入れなかった。
- これに関しては、奨学金の見直しや普及に解決を委ねて今回は不問に付す。
- 公平に評価してほしい
と言った声があると思う。お金については少し議論が複雑になってくるので、ここでははじめと最後の二つについて述べたい。
「人は学歴だけでは決まらない」ってほんと?
人という従属変数は、確かに学歴という説明変数だけでは説明しきれませんね。しかし、依存関係にあることは間違いないです。独立ではありませんね。
学歴が高い人というのは、それなりの努力をしてきたと思います。挫折をしてきた人も多いはずです。したがって、その分深みがある傾向はあるでしょう。
従って、必要条件として学歴で絞るというのは、採用コストを下げる必要のある企業にとっては非常に有効な方法なのです。
- もっと公平に評価してほしい
高学歴の人たちは、その学歴を手に入れる過程で大いに苦労したはずです。努力したはずです。したがって、学歴を考慮した採用を行うことこそ、そういった過去の努力が報われるという点で、公平なのではないでしょうか。
学歴フィルターが一定の意味をなすとはいったが
ここまでで、僕が学歴フィルターに対してある程度公的的な立場をとっていることは伝わったと思う。 しかし、問題も存在する。 それは、多くの場合の学歴とは、大学入試の結果だということである。要は、大学でどれだけ頑張ったのか、という要素は学歴フィルターに含まれない。ここは問題のように思う。大学での成績も加味するべきだと思う。
しかし、
- 多くの企業は、ガクチカも参考に採用を行なっている
という点から、
- ガクチカ:大学生活の評価
- 学歴:生まれてから高校卒業までの評価
という点で、ガクチカと学歴を合わせれば、その人の経歴を結構網羅しているようにも思える。
要は、学歴フィルターだけでは、大学で頑張ったことを無視することになるので、ガクチカ等、大学での努力や活動を採用指標の一つに定める必要があるよね、という話。
学歴フィルターとマイノリティ
マイノリティについても述べなければならない。そうでなければこのブログ記事は非常につまらないし、愚痴めいているし、それこそ学歴フィルターに文句を言う、「(できるのに)努力をしていない」人たちと同類である。
勉強をやりたいのに
学歴フィルターを批判すべきなのは以下のようなケースである。
- 経済的な理由で進学が厳しい。
- 精神的・身体的な理由で、頑張りたいのに頑張れない。
- 頑張っても報われない(親や先生から厳しいことしか言われないなど。)
こういった人たちがいることを常に念頭に置いて、議論しなければならない。勉強をやろうと思えばやれたり、頑張ったら報われると思えるような環境で育ち、努力が裏切らないと信じることができていたりするのは、「特権」なのである。
「特権」を持たざるものがいることを理解しなくちゃいけない。(別の記事で、「特権」については詳しく書こうと思っている。)
このセクションに関しては、以下のURLを参考にされたい:
上野千鶴子さんの、東大におけるスピーチである。とてつもなく印象的で、考えさえられるものである。
- 最後に
ああ、今回もうまく話がまとまらなかった。しかしアウトプットは大事である。こうやって書くことを経て、文章は洗練されると信じている。これからも書いていこうと思う。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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