東大 生物情報学科、学部生の備忘録

東京大学の学生です。日々の気づき、学び、つまづいたことをメモにします。

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挫折の重要性。謙虚になるための挫折、成功するための謙虚さ

はじめに

弟やその友達が、大学受験に失敗し、浪人が確定しました。 僕も僕で、四年前に同じように東京大学の受験に失敗し、駿台大阪校に通ったことがあるので、その時を振り返り、挫折の重要性をつらつらと書いていきたい。

僕の人生と挫折

僕は、中学受験で 6 校(including 六甲... ややこしい)ほど受験したが、全て不合格になり、散々見下していた地元公立中学に行かざるを得なくなった。その時に信じられなくらい絶望し、一人寒い部屋の端で、体育座りしながら一日中泣き続けたことは10年以上経った今でもまだ、忘れられない。 その挫折を胸に、「もうあんな辛い思いはしないぞ」と強く近い、中学校では鬼のように勉強し、なかなか良い高校に入学できた。 そして高校では、塾に行かずに学校の勉強だけで東大に行ってやる!と誓い、クラスメートのほぼ全員が塾に行っている中、自分だけ塾なしで東大を受験した。そして、不合格になった。不合格になった原因としては、塾に行って勉強しなかったことが考えられる。ただ、塾に行かなくても高校ではかなり上位をキープできていたことは確かだ。したがって、塾に行かなかったことが直接的な原因ではないだろう。僕が考える、大学受験失敗の要因は、「謙虚さ」が足りなかったからである。

成功するための謙虚さ

表題にもしたように、成功するための謙虚さ、について述べたい。 論を進めるために、謙虚さの意味の確認は欠かせない。

謙虚さとは

ここでの謙虚さとは、謙遜とは異なり、 「驕らず、慢心せず、自分はまだまだだと自覚し、ひたむきに努力し続けることができるような精神状態」 である。 謙虚さとは、ただただ外向きに「僕なんてまだまだですよ〜」とアピールすることではなく、自分自身の内側で「自分は半人前だ」と理解・自覚することである。口だけではなく、心で理解することが必要なのである。

謙虚さと成功

謙虚さがなければ、成功するのは難しいと思っている。どうしてか。謙虚さの対義語として、「傲慢」を引き合いに出して、話を進めていく。

傲慢な人は、「自分は優秀だ、完璧だ、周りに負けていない」と考えたり、さらには「自分のやり方は合っている、周りに自分のやり方をとやかく言われる筋合いはない、自分が一番正しいのだ」と思ったりしているだろう。 こういった傲慢さを持っていると、そのプライドが邪魔してしまい、他者からのアドバイスを受け入れたり、自主的に自分の手法を変更したりすることができなくなる。勉強を例に取るのなら、このような状態では、最善の勉強方法には辿りつかないし、最高の学力にも近づかないであろう。たどり着けるとしても、それは局所最適解で、我流の域を出ないものである。

それに対して、謙虚な人はこのように考える。すなわち、「僕のやり方はまだまだ改善できるだろう、誰かにアドバイスをもらいたい、自分より成績が低い人からでも参考になる姿勢や手法があるかもしれないからそれを探してみよう」、と。 このような、素直な気持ちを備えた謙虚な人は、その素直さを以って無限の吸収力を発揮し、大域最適解に辿り着けるだろう。他人のアドバイスを柔軟に受け入れ、都度自分のやり方を変更し、「より良い方法、姿勢」を模索し続けることができる。その結果、いつの間にか、てっぺんに立っているのである。

ここまでで述べたように、謙虚さがなければ、我流に囚われ、たかだか局所最適解しか得ることはできない。謙虚さが合って初めて、他者のアドバイスを受け入れたり、我流へのこだわりを捨てて柔軟に方法や姿勢を変更したりでき、最終的に大域最適解に辿り着くのである。

謙虚さを得るための挫折

謙虚さを身につけるためには、思いっきり挫折するのが手っ取り早いだろう。本気で全力でやって失敗した時、人は自分が完璧ではない、一番ではないということを嫌というほど理解する。その結果、どうしても謙虚にならざるを得ないのだ。「自分は全力でやって失敗したのだから、完璧なわけがないのだ」と心の底から理解できるのである。このようにして、本気の挫折から人は謙虚さを得るのである。

勝負には本気で取り組まなければ全く成長できない

手を抜いた結果失敗に終わったときはどうだろうか。これは、挫折とは言えない。このような状況は一番まずい。本気で取り組まずに失敗した場合、以下のようなマズイ心理状態になる。すなわち、

  • 今回は手を抜いてしまったから失敗したのであって、手をぬかければ成功できたわ。
  • やりたくて挑んだわけじゃないし、本気出してないぜ。やりたいことなら全力で行けるし、本気出せるし、その結果絶対成功できるもんね。

このような精神状態では、内省はできないだろうし、その結果当然謙虚にはなれない。 まとめると、本気で取り組まずに失敗した場合は、人は自分自身の至らなさ以外を理由にしようと言い訳し、己の弱さを認めることができない。その結果、どうしてもプライドが残ってしまい、謙虚さを身につけることは難しい。

テキトーに取り組んで成功してしまったら?

また、別のケースとしてテキトーに取り組んで成功してしまった場合を考えよう。これは本当にタチが悪い。 手を抜いて成功してしまったら、その成功体験が今後の心理に悪く働く。つまり、

  • 手を抜いても成功できたことから、万能感を抱き、自分の力を過信してしまう。傲慢になってしまう。
  • 今後の本気で取り組まなければならない局面でも、手を抜いて取り組んでしまう可能性がある。そして、より重要な局面で重大な失敗をしてしまうかもしれない。

手を抜いて下手に成功してしまった場合、このようなデメリットがある。テキトーな勉強で偶然難関大学に合格してしまった読者の方には、くれぐれも慢心し、鼻高にならないようにしていただきたい。謙虚さを備えなければ、浪人生にあっという間に追い抜かれてしまうぞ。

まとめ

ここまでで議論したことから、以下のような結論が導かれる。すなわち、

  • 大きな成功を収めるためには、さらには、より深い人間性を身につけるためには、謙虚さと素直さが欠かせない。
  • 全身全霊をかけて本気で頑張って失敗したとき、人は本当に謙虚になれる。
  • どんな時でも全力で努力しなければならない。そのためには、全力で努力したいと思えるような目標や、努力できるような環境に身を置くことなど、重要な要因が数多くある。
    • 勝負に手を抜き、それで失敗したとき、人は自分の落ち度を振り返ろうとせず、言い訳に逃げる。そのとき、謙虚さは身につかない。
    • 勝負に手を抜いても成功してしまった場合、その成功体験が今後の人生に悪い影響を与えてしまう。つまり、慢心や傲慢がついてまわり、謙虚に直向きに努力できなくなってしまう恐れがあるのである。

どうやって生きたらいいだろう。

最後に、本当の意味での挫折を味わったことがある人、そうでない人のそれぞれに、どう生きれば良いのか、伝えていきたい。

本当の意味で挫折をした人、まさに今挫折を味わっている人

さぞかし辛い経験だったと思う。もしや、死をも覚悟したかもしれない。しかしそれは、非常に勿体無い。ここまでの議論から分かるように、「全力で一生懸命やって失敗する」という経験は、なかなか得られない。全力でやったら成功してしまうことの方が多いかもしれない。「全力でやって失敗する」ためには、ちょうど良い実力を備えていたり、目標の難易度がちょうど良かったりと、かなり運が必要である。受験で言えば、親に志望大学のレベルを低く設定させられてしまうような高校生は、そもそも全力でやって失敗するということができないだろう。 以上のように、そもそも本当の意味での挫折を味わえるのは、ラッキー中のラッキーなのである。僕らだけの特権なのである。こんなことはなかなかない。感謝して喜びを噛み締めようではないか。

人生で一番若いのは、今である。一番若い、このタイミングで挫折を味わい、謙虚さを身につけることができたのは、ラッキーと言い切ることができるであろう。 謙虚さ無くしては、成功はあり得ないと思っている。挫折なくして、謙虚さを得るのは非常に難しいと思う。挫折をせずに謙虚でいるには、そもそもの環境や性格、多くの要因が偶然噛み合う必要がある。挫折を味わえたら、基本的には謙虚になれる。挫折を味わっている(味わった)あなたの将来は間違いなく明るいだろう。謙虚さを持って、直向きに頑張り続けてください。

今まで挫折をしたことがない人

こういった人々は、自分は多かれ少なかれ、慢心している可能性が高いということを肝に銘じてください。謙虚さを持って、人に接してください。自分よりも低学歴であったり、役職が低い人と話すときに、「こいつより俺(私)の方ができるし」とか心の中で思ってはいけません。自分にも必ず至らぬところがあり、それを自覚して初めて一人前になることができ、大きく成長できるようになるのです。挫折をしたことがないというのは、危険な状態です。

そして、挫折をしろとは言いませんが、全力で取り組まないと成功できないような、ちょうど良い目標を見つけてください。そして、それに向かって全力で努力してください。全力で取り組んで成功した場合、それは確かな自信になるでしょう。全力で取り組んで失敗した場合は、先ほども述べたように、謙虚さを得ることができ、今後の人生の大きな糧となります。しかし、全力で取り組まなかった場合、結果がどうであれ、その挑戦がもたらす良い影響はほとんどないはずです。慢心になるか、内省を避けて言い訳をし、今後も本気で挑むのを避け続けるような生き方になります。

慢心せぬよう人一倍気をつけ、高い目標を設定し、努力し続けるということが人間性を高めることに重要なのはずです。

最後に

ここでは、僕が小学生から 10 年以上思い悩んでいた「挫折の価値」をまとめた。 一つの疑問として、本当の意味での挫折を味わったことのない人々が謙虚さを身につけるためにはどうしたら良いのか、ということがある。これについては、いずれ紹介したい企業がある。 成功しかしてこなかったような学生に内省の機会を与え、謙虚さを身につけさせるという取り組みを頑張っている企業がある。その企業のことを紹介したいと思う。

とにかく、かなり記事が長くなってしまったが、ここまで読んでくださり、ありがとうございます。