はじめに
ここ数年の生成 AI (generative AI)の発展は、stable Diffussion に見られるように、非常に目まぐるしいものがある。 そういった生成 AI はその特性ゆえに、現代のネット社会を全く別のものに変容させてしまう可能性がある。 生成 AI はあまりに短い時間で、とてつもなく多くの高精度なコンテンツを生成することができる。それによって、人間純正のコンテンツの相対量が減る可能性がある。この記事では、そういった 生成 AI のネット社会への侵攻とそれを受けて社会がどのように変化していくかを詳細に見ていきたい。
生成 AI
生成 AI として代表される Chat GPT や Stable Diffusion を見れば、その強烈さはよくわかる。
ChatGPT は最近政治の場面でも利用されることになったと聞く。IT に遅れた日本政府ですら、それくらいの試みをしたくなるような魅力や強みがある。ChatGPT については、Stable Diffusion よりも有名な気がするので、ここでは主に Stable Diffusion (SD) について書きたい。
Stable Diffusion (SD) がネット社会を滅ぼす?
本ブログでも何度も取り上げているが、SD についてである。 SD は高精度のコンテンツを短時間で大量に生成することができることが強みであった。
SD は 2022/11 にリリースされ、そこから現在 2023/7 までは半年強の時間が経っている。その過程で、民主化がかなり進んでいることは言うまでもないだろう。AI に造詣のない人でも簡単に画像を生成できるようになり、多くの人が SD をつかうようになっている。最近は LoRA が著作権の問題で非常に問題視されており、pixiv の有名イラストレータが抗議を行うなど、without AI なイラストレータの著作権を保護するための活動が活発である。
話が逸れてしまったが、SD はネット社会を滅ぼす可能性があると、私は信じている。それについて、順を追って説明したい。
SD の民主化は止まらない
SD は短時間で高精度なコンテンツを大量に生成できるのであった。また、現在絶賛民主化が進んでおり、多くの人が利用するようになっている。私のブログのアクセス数で見ても、Stable Diffusion 関連の記事の PV がやはり多い。
こういった民主化は止まることはないだろう。
なぜなら、
- ハードの進化によって、より容易に SD を利用できるようになる
- 人々の「生成AIを使ってみたい」という需要に応えるためのオンライン SD サービス等で商売を行う会社がいる
- 同様に、「SD の使い方」等のネットコンテンツが増え続けることは明らか
- 仮に法律で、利用に制限をかけても、現時点でかなり多くの人々の Local に全てが入ってしまっているので、完全に広がりを止めることは不可能。
といった理由があるからである。
このまま SD の民主化が進むことが脅威である。それについて、続けよう。
SD が超民主化した世界
SD を今より一層多くの人々が使えるようになる時代は、もう目前であろう。そうなった場合、以下のようなことが起こる。
- 非常に多くに人が、高精度なフェイクコンテンツを作成する
そして、そういったフェイクコンテンツは無論インターネットに大量にアップロードされることになる。
すると、
フェイクばかりのインターネット
ができてしまう。 こうなってしまったら、いよいよ、 インターネットコンテンツを信じることができなくなってしまう。
嘘ばかりのネットコンテンツ
2010 年代は SNS で、
- ペットボトルを投げて、空中で一回転して綺麗に着地させる動画
- スポーツプレイヤーのスーパープレイ
などを見かけても、嘘と疑うことはなく、「すげえ!」とか「軌跡だ!」とか素直に信じて、楽しんでいた。 いわば、奇跡を扱うコンテンツの信憑性は高く、誰もそれをフェイクと疑わなかったであろう。
しかし、嘘まみれになったネット社会では人々はそうはいかないであろう。 フェイクで溢れたネットコンテンツでは、 「奇跡」を捉えたビデオはまずはフェイク疑惑がかけられてしまうだろうし、上手なイラストも AI が生成したものと判別がつかないので、素直に感動するできない。
重要なのは、
高精度なフェイクコンテンツで溢れた社会では、奇跡の瞬間を素直に信じることはできず、奇跡や偶然を扱うコンテンツを楽しみにくくなってしまう
ということである。 フェイクまみれのネット社会では、奇跡の瞬間は無価値になってしまい、感動は薄れてしまう。
では、ネット社会が嘘まみれになった後、人々はどのように娯楽するのだろうか。
ここが、本記事で一番議論したいところであり、面白いところである。
嘘で溢れたネット社会がもたらす人々の娯楽の変化
人々は、ネットに嘘が蔓延してしまった時、どのように娯楽するのであろうか。
もちろん、フェイクコンテンツ。AI コンテンツ自体を楽しむことはできるであろう。単にうまい絵が見たいとか、かっこいい動画が見たいとかいうのであれば、AI によって作られたもので十分であろう。
でも、それでもやっぱり、人々は、人間が為す芸術がもたらす感動や、偶然・奇跡の驚き、感動を味わいたいと思うのではないだろうか。
例えば、
- 武道の達人の型
- 大道芸の芸人の凄技
などを見ることでしか得られない感動があるはずである。
人間の手によってなされる芸術によってしかもたらされない感動があるはずである。そういったものは人間である以上、求めてしまうのではないかと思う。
そういった、フィクションではない人間の芸術を求める人が出てくるだろう。
人間の芸術を求める人々が変える社会
そういった、人間による芸術を求める人々は、ネット社会から脱出するはずである。なぜなら、ネットはフェイクで溢れており、そういった芸術を扱うコンテンツがあっても、頭のどこかではそれが嘘なような気がして、芯から信じることができないからである。
嘘で溢れたネットでは真に芸術を楽しむことができないのである。
その結果、人々は「対面」のイベントや「対面」での出会い、感動を重要にするようになると思う。 直接自分の目で見ることが重要になるのである。直接自分の目で見ない限り、嘘だと疑ってしまうからである。自分の目で見て、真実だと納得しないと、芸術を楽しむことはできないからである。
人々は対面を重視するようになる
対面での感動を人々が重視するようになると、
- 人々の移動は活発になる
- 大道芸や武道、芸術家が日の目を浴びる
といったことが予想される。
これは非常に興味深い。
なぜなら、AI や技術の進歩によって、オンラインで全てが済んでしまう世界が実現し、人々はオンラインでの生活に没頭すると思いきや、フェイクコンテンツの飽和がきっかけとなり、対面での感動を求めるようになって、リアルを重視するようになるという、逆説的な展開であるからだ。
AI はリアル社会を矮小化させているはずが、AI のもつ「短い時間で高精度なコンテンツを大量に生成する」という特徴のせいで人々がオンライン社会を離れ、リアル社会を大切にするようになるというシナリオである。
直接目で見て真実だと納得しなければ楽しめない、
さらに先に(妄想)
そして、そのままうまいこと行けば、地域社会が活性化されるかもしれない。インターネットによって地域社会における人のつながりは希薄になってしまったが、フェイクコンテンツがネットに溢れかえったことによって、対面での関わりを重視する人々が増え、人の対面でのつながりが強化されるような、そんな未来が来るかもしれない。
まとめ
結構話が逸れそうになってきたので、まとめる。 毎度恒例(これから)の、Chat GPT に要約をお願いしようと思う。その結果は次↓
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生成AIの発展は急速で、ネット社会に大きな変化をもたらす可能性がある。Stable Diffusion(SD)は高速かつ高精度なコンテンツを生成できる。SDの民主化が進むと、フェイクコンテンツでネットが溢れ、信頼性の低下や感動の薄れをもたらす恐れがある。その結果、人々はリアルな体験や対面の感動を重視するようになり、地域社会の活性化も期待される。
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うんうん、非常にわかりやすい。感謝。
最後に
今日急成長している生成 AI によって、逆説的に人々がリアル社会を重視するようになるという予想を立てた。
私はこの通りになると信じている。
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