東大 生物情報学科、学部生の備忘録

東京大学の学生です。日々の気づき、学び、つまづいたことをメモにします。

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東大理学部学生が思う、就活の違和感・おかしさについて。

はじめに

この記事では、僕が常日頃から感じている就職活動ひいては就職そのものについての違和感、おかしいと思っている点を述べたい。 皮肉めいた記述が目立つかもしれないが、ご了承いただきたい。

就活みんなしてるよね。

大学生は3年生後半あたりから、就職を意識することが多い。僕は院進の予定であり(両親や周りの支えには感謝しかない)、就活を行う予定は今のところない。修士、博士と進めるなら進みたいし、研究者として歴史に名を残したいと言う気持ちもある。こういったアカデミック寄りの思考が根強いからかもしれないが、どうも大学3年生で就職活動がどうたらいっている人をみるといい気持ちにならない。これはどうしてなのであろうか、、色々考えてみた。

大学生の就職活動に感じる違和感

落ち着いて考えてみた。すると、僕が違和感を覚えているのは、必ずしも全ての就職活動に対してではないことがわかった。僕が嫌なのは、貴重な大学の時期を、就職のために利用するという考えであり、二年生三年生といった早めのタイミングから就職がとか企業がとか言って、肝心の大学における勉強を後回しにしたり、単位もほとんど取らないような学生が嫌なのである。さらに言えば、文系の(一部の)学部学科では、そもそも必修科目が少なく、就活前提に3年生のカリキュラムが組まれているところも少なくないであろう。そういった、大学の運営サイドが就活を前提として大学を動かしているという事実も嫌なのである。

就活ってなんだろう。

ここからは、僕の偏った思想が出てくるかもしれないが、聞いてほしい。 インターネットを徘徊すれば、就活では「自己分析」や「エントリーシート」、「面接対策」などの、僕からみたら正直一朝一夕にしか思えない技術を重宝するきらいがあると見える。大手企業に入るためにどうこうするだとか、あれはしてはならないとか、そんなことを調べて、時には自分を偽って、さらに血迷って資格を乱獲しようとさえするかもしれない。(僕は資格を取ることに意味はないと思っている。資格を取る過程には意味があるが。)

つまるところ、俗にいう就活に向けた対策というのは、付け焼き刃で本質的ではなく、実用面を重視したようなものにしか見えないのである。一方で、己の能力を時間をかけて磨き、コミュニケーション能力を上げるために多くの人と話したり、動画や本を読んで話し方を学習したりといったような、本質的な就活もあるとは思う。しかし僕にとっては、そういった就活も含め、大学生にはあまり注力して欲しくないのである。

大学生に、就活に熱中して欲しくない理由

導入

こんなことを先輩に言われるだろう。

先輩「二年生後半から就活始めた方がいいよ!絶対に早くやって方がいいよ。」

大学生活勿体なくない?

皆さんは就活に熱中、尽力する学生について、どう思うだろうか。熱心でいいことだと思うかもしれない。ここからが本記事の本質的な部分になると思う。

僕は、大学とは実用的ではないものを学ぶためのものだと思っている。 従って、就活に打ち込むような大学生は、大学生活を無駄にしているようにしか思えないのである。なぜならば、就活とはまさに実用的な面を重視し(面接対策やESは顕著。資格もそう。)、本来大学で行うべき学問と反対の性質を持つものだからである。

大学では、一見役に立たないような学問や(スポーツ)に打ち込むべきである。 僕の友人にいたのは、大学2年生の後半から就活を始めて、授業もあまり取らずにインターンがどうたらといつも行っている人がいた。僕はこう思う。こいつはなんのために大学に入ったんだろう、と。だって四年間しかない大学生活(しかも東大)で、貴重な講義を受ける権利を大いに無駄にして、後半 2 年以上を就職のために使うのってアホらしくないですか、、。インターンで学ぶことがあるのならいいんですが、僕はとりあえず就活を早くすればいいという風潮に異を唱えているんです。

ならどうやって就活すれば良いの

ここまで就活をけちょんけちょんに貶してきた。ならば、大学生は就活をどうすれば良いのだろうか。この問題は、多くの企業にも協力してもらわなければ解決はしないだろうが。

僕が思う理想的な就活のあり方として、二つの条件があると思っている。すなわち、

  • 大学の重要な意義である、非実用的な学問の追究に支障をきたさないようなもの
  • 付け焼き刃ではなく、本質的な基礎能力を上げるような努力をする形のもの

この二つを満たす就職活動であれば、僕は大学生活が無駄にならないと思う。直前に付け焼き刃のスキルをつけるための低レベルな活動ではなく、大学一年生二年生、いやもはや高校中学からコミュニケーション能力やリベラルアーツを身につけ、教養人を目指すことこそが僕の理想とする就職活動である。

そして、ここまできたら、就職のための活動というのは何かおかしい気がする。人生全体を通して自分のレベルアップをし続けるということにこそ価値があり、本質的であり、それの通過点として就職活動があるのだという方がふさわしいだろう。

そもそも就活がきついのは

そもそも、就職活動というのは、学生の今までの「過去」がみられるのであり、大学の最後の一年頑張ったところで変わるとは思えない。今まで小学校中学校、高校大学とどれだけ頑張ってきたかが出てくる場面なのである。大学で就活を苦労したのなら、過去の自分を恨むべきであり、企業がどうたら、面接対策がどうたらいうものではないと思う。(高学歴だからこそ言えるんだろ!と思うかもしれないが、高学歴の人は高学歴になったぶん、かなりの努力をしているのである。それが評価されているのである。)

まとめ

話が逸れかけてきたので、一旦まとめる。

僕が主張したいのは、

  • 大学生は就職活動に多くの時間を割かないで、実用的でない学問を追求してほしい
  • 一朝一夕の就活ではなく、生まれてから今までの期間の成長の成果が就活の説明変数である。人生を通じて、常に成長し続ける姿勢を身につければ、あえて就職活動に尽力する必要はないはずである

というようなことである。

最後に

だいぶ愚痴っぽくなってしまった部分がある。 しかし、これは是非とも企業や就活生に考えてほしいものである。もっと言えば、小学校、中学校教育においても伝えてほしいものである。就活のみに関して言えば、大学生になってからどうこう頑張ったとて、手遅れなケースがあるはずである。もっと前から継続的に成長し続けていなければならないのである。それを教師は伝えてあげる必要がある。

今後は別の記事にて、 学歴フィルターがどうたらこうたらということについて述べようと思う。

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